気まぐれに、思ったままに。

とあるポスドクの、つぶやき 兼 備忘録

行動の予想精度の低さ

1日の計画を立てて、予想時間も記入して、過ごしてみている。

でも結局ずれていく。何が原因であるのかを考えた。

 

1) 1つの行動単位を正確に把握できていない

まず、最初に立てる項目が少ない。結局行動を起こしてみた結果、この作業もあったんだった、と後から追加することが多くなり、予定がどんどん後ろへずれていく。

 

2) 見積もり時間が少なすぎる

思ったよりも時間が掛かる。項目間の繋ぎの時間を無視して予想時間を立てていたり。これは良くある話として様々なところで目にする情報だが、人間は自分の能力を過大評価し、タスクを過小評価するもの。そう思っておかないと、予定はどんどんずれていく。

 

3) 休憩しすぎている

計画段階で適度に休憩を挟むようにしているのだが、結局気を抜くとすぐに休憩が伸びてしまう。見積もりも甘いし、作業と休憩の切り替えも上手く出来ていない。F太さんのライフハックにもあったが、休憩後にスタートする行動を休憩前に決めておくとか、面倒だと思っても行動をゆるゆる開始してみるとか、工夫が必要。

 

今のところ、気づいたのはこの辺りか。見通しをしっかり立てることは本当に難しい。何事も。課題だなぁ。

行動ログと1日の計画

TaskChute1を使い始めて10日ほど経った。一応ログを取ることは習慣化してきたようだ。エクセルに打ち込むだけだし、行動をジャンルごとに色分けすると認識しやすいし、基本的に楽しさを見いだせているからこそ続くのであろう。この楽しさが習慣化の報酬の一つだ、おそらく。

睡眠不足で体調を崩すという初歩的なミスを犯し、丸1日寝ていた。よく寝て気分もよいし、頭もすっきりしている気がするし、よっしゃD論頑張るか!と時計を見ると午前0時過ぎ。なんてことだ。

これ以上寝ても頭がぼけてく気がするし、元気だし、そのまま起きてしまうことにした。朝ご飯?を食べて、大学へ。めっちゃ早起きしすぎた、超朝活をしていると考えてみる。今晩めっちゃ早く眠くなるだろうけど、そこでちゃんと帰宅して眠れるかが勝負な気がする。

 

佐々木正悟さんのブログの最新記事を読んだ。iPhoneユーザーではないので、たすくまは使えないのだけれど、気が向いて読んでみた。

nokiba.hatenablog.jp

「タスクシュートの考え方として、見積もり時間ゼロということは本来あり得ないこと」

この一文が先ほどぐさっと刺さった。

ログを取り始めてみて、一応適当に見積もり時間も入れてあるけど、疲れたなー休憩しよ、って新規作成で休憩を入れたり、見積もり時間を打たずに過ごして、結果的にこんな時間経ってたのか…と気づくなんてざらである。

後輩が研究室にやってくるまでまだ4時間ほどはあるだろう。せっかくの朝活、早起きした1日、焦っても仕方ない。日中の時間の使い方も考えて、帰宅予定時間も決めて、明日もちゃんと起きてD論に向き合えるように、真面目に1日の計画と向き合ってみよう。

計画と実施結果はずれていくだろうけど、計画もないままでは期限までに終わらない。それはまずい。ずれた分だけ、次の計画で修正するのが重要だ、きっと。

笑うことは素敵なこと

何を思ったのか、スマホに入れていたTwitterアカウントをログアウトした。F太さんやライフハック系のアカウントのみをフォローした、フォロワーが誰も居ないサブアカウントだけ残して、リア友と繋がっているメインアカウントや、趣味で好きな絵師さんをフォローしているサブアカウントからログアウト。学部生からずっと触り続けていたSNSを、ついに手放した。やめるべきだ、と強く思っていなかったのにも関わらず、ログアウトできたのは何なのだろう。これも逆説的な現象だろうか。

Twitterをログアウトしてみて起きた驚きの変化は、集中力が切れた時にやることがないこと。Twitterメインアカウントは300超えのアカウントをフォローしていたので、TLを追いきれることなどなかったし、時間はあっという間に奪われていった。趣味のアカウントの方がTLの流れは速かったし。

2週間ほど前の片付け祭りで、スマホに居たゲームもほぼ消したのも功を奏しているのかもしれない。とにかく、気づいたらものすごく時間を奪われていた要因が減ったのだ。こんなに効果があるとは、理解していたつもりだったが、実感できると驚く。

 

今日はそんなこんなだったけれど、夜に教授とD論の進捗について5分ほど話した。居室に様子を見に来てくださった。筆の進みが遅すぎて心配されている…ホントすみません…。そして、これまでの2年半、私が全くと言って良いほど出来なかったデータ整理・まとめについて、やってなかったの?と確認され、不甲斐なさに泣いた。非難はされなかった、ただ確認されただけ。やってると思ってたけど、まぁそれは今言っても仕方ないね、とのこと。そうですね…すみません…。さて、泣いてもD論は進まないのだけれど。

 

気持ちを落ち着けて切り替えたかったので、ちょっと買い物に出掛けることにした。Twitterにログインする気にもならず、最近ブックマークしたブログはSNSのように頻繁に更新されるものでもなく。といっても23時過ぎ。コンビニかファミレスか、遅くまで営業してくださっているスーパーか、ツタヤか。そのぐらいしか行き先はない。あ、読書でもするか?と思いつき、ツタヤへ。(本屋は営業時間外だった)

佐々木正悟さんの「やめられなくなる、小さな習慣」を読んでみようと思ったのだ。ネットで在庫検索を掛けたが、検索できませんとのこと。よくわからなかったので、とりあえず行ってみた。

残念ながら、在庫なしだった。

久々に本を眺めながらお店をぐるっと。自己啓発本をあれこれ手にとってぱらぱらとしながら、ピンとこないので棚に戻すを繰り返し。最終的に文庫本コーナーへ。文庫本を買う気は全く無かったが、たまたま表紙が見えるように陳列されていた、さくらももこさんのエッセイに目を奪われた。3冊もあったのか、知りませんでした!そしてちょうど数日前に、佐々木正悟さんのブログにも書かれていた。

nokiba.hatenablog.jp

ちょうど落ち込んだ後じゃん、私。ということで、早速「もものかんづめ」を購入。帰りにコンビニでお菓子を買って、大学の居室へ戻ってきた。外を出歩いても大きく気分は変わらず、D論に向かう気も起きず。買ったばかりの「もものかんづめ」を早速読んでみた。

 

うまく表現できないのだけれど、もう、面白い。どの文章も笑いがこみ上げてくるというか、自分以外に誰も居ないので声を出して笑ってしまった。まだ1つ目の話しか読んでいないけれど。

私には、さくらももこ先生とのご縁といえば、アニメのちびまるこちゃんとコジコジくらいなものだったが、すごく好きな作品だった。このタイミングでエッセイ集と出会ったが、すごい。ほんの数ページ、1つ目の話を読んだだけで、声を上げて笑い、気持ちが前を向いている。笑うとはなんて素敵なことだろう。もう1つだけお話しを読んで、また頑張ろうと思う。ありがとう、さくらももこ先生。読み終わったら残りの2冊も順番に読もうかな。

amzn.asia

頑張る理由(2018/11/16)

今の私にとって、苦しい思いに耐えてD論を提出しようと頑張る理由は?

 

①自分のため・・・

・博士号を取得し、自分が強く興味関心をもつ分野で研究者として職を得るため!

・知的好奇心を満たしながら、尊敬する人たちと、楽しく働いて研究して生きていくため!

・ご指導いただいている先生方と、色々あって大変だったけど頑張って乗り越えられて良かったね、と話しながら3月に学会へ参加するため

・学科の先生方や指導教員の先生と、学位取得を祝ってお酒を飲むため

・研究室の後輩と一緒に、学位取得を祝って先生方と笑って写真を撮るため

修士から5年間一緒に頑張ってきたドクター仲間の同期と、一緒に笑って学位授与式に出るため

 

②他人のため・・・

・無事に学生の身分を脱し、応援してくれる両親や親戚に喜んでもらうため(定職に就けるまでは安心してもらえないだろうけれど)

・准教授の一人目のドクターの学生として、無事に学位を取得し安心してもらうため

・ご指導いただいた先生方へ、学位を取得し、喜んでもらうため

・応援してくれた先生方、先輩後輩、同期や友人たちへ、学位取得の報告をして喜んでもらうため

 

③社会のため・・・

・学位を取得し、私のコミュニケーション能力と所属コミュニティの広さを活かして、私だからこそできる研究を独自の観点で進めることで、所属分野や学会、科学に貢献するため

 

自分のための割合が今のところは大きいけれど。具体的に考えてみることって大事だな、思考が少し前向きになった。頑張ろう。

頑張る理由とは

ここ数日、なんだかずっと食べ続けている気がする。

過食?ストレスのせいかな~と軽く調べてみると、摂食障害やら過食症やら、病院案件の記事がいっぱい出てきて焦る。笑

動けないほど食べたり、食べ過ぎに罪悪感を感じて吐いたりとかはしてない。昔からストレス溜まると食べ過ぎる傾向はあるから、まぁそこまで重くは捉えていない。

 

そんな中で、たまたま、大好きな鈴木明子さんのインタビュー記事を見つけた。上中下の3部に分かれたインタビュー記事の中編。

style.nikkei.com

目から鱗というか、なんというか。自分の中に新たな視点が形成された感じがした。特に心を揺さぶられた文章を抜粋すると次の通り。

「自分のためだけに頑張れることには限界があります。私の場合、親やコーチといった私を支えてくれた人、応援してくれた方々など、自身を取り巻くいろんな人が喜んでいる姿をイメージすることで、つらい時期も踏ん張ることができました。」

 

ここ数年はずっと、期限などの外圧的な必要性に駆られて、様々なことをこなしてきたように思う。昔から、考えすぎて動けない時間が多かったり、それでいて期限が迫ってくると焦って体力の限り頑張ってどうにか期限や課題を乗り越えたりするタイプ。今年の9-10月頃に、本当にようやく、このやりかたでの限界の壁にぶち当たって、計画性とか長期的な頑張り方とか、大切なことを学びつつあるわけだけれど。

自分がもつエネルギーを内面に向けすぎて、体が動かない。自分のためにひたすら頑張ってきたけれど、それだけではどうにも体が動かなくなってきた。そりゃそうだ、単純なエネルギーは減る一方だし、もちろん回復力だって落ちていく。続けるためには、動き続けるためには、好きであり続けるためには、ひらめきラジオのF太さんが常々発信しているように、工夫することが大事なのだ。

 

じゃあどうすれば良いのだろうか、と考えていたけれど、鈴木明子さんのインタビューの中に新たな視点の発見があった。自分以外の人のために頑張る。目標の先を具体的にイメージする。どちらもほとんど考えたことがなかった。

結婚も孫の顔も期待してないから、好きなように生きなさい、と笑って言ってくれた父。

私の睡眠不足や健康を心配して、実家に帰るとたくさんのご飯を準備してくれる母。

博士進学を驚きつつも応援してくれた親戚の皆さん。

出来の良い学生ではないけれど、親身に根気強くお付き合いくださる指導教員の先生方。

学年が離れた私とも、遊んだりご飯食べたり楽しく過ごしてくれる後輩たち。

同期のドクター仲間、先輩方、学科の先生方、大学や中高の同期、他大学や研究所の先生方、中高でお世話になった先生方、ピアノの先生、ライブ仲間…。

ものすごく沢山の人が私に関わってくださり、沢山の人に応援されて、支えられて、いまを生きている。知っていたつもりだったけれど、自分の中に落とし込めていなかった。

 

自分のためだけでなく、自分と関わりのある人のために、喜んでもらうために、目標を持っても良いのかもしれない。そんなこと考えたこともなかったけれど、大きなエネルギー源を得られる素敵な考え方だと思う。

自分の内面と向き合いながら、苦しい思いをしながら、いま頑張っている理由はなんだろう。闇雲に頑張るのではなく、もっと先を具体的にイメージする。今までやってこなかった、自分に必要なことの一つだ。

 

何故頑張るのか、頑張ってどうしたいのか、どうなりたいのか?

同属嫌悪

後輩にイライラするし腹立つけど、居室以外に良い移動先がないため、仕方なく。この苛立ち、腹立たしさを解消したい。頭の中に言葉と思考がぐるぐるしているので文章化して吐き出す。さっさとD論を書き進めたい。

 

同属嫌悪ってなんなのだろう。ということを考えてみると、単に、自分の現状の強い否定の気持ちが反映されているだけな気がしてきた。苛立つ相手には自分自身が反映されて、目に見える形でそこにある。自分の理想からは程遠い現状が、目に見える形でそこにある。だから、腹立たしいし苛立つし、目を背けたくなる、のかもしれない。

それってつまり、こんな状態では駄目なのに、何故自分はこうなのだろう、という現状への強い否定だ。理想から程遠いことをストレスに感じて、今ここに確実に存在している自分という存在の自己否定。

でも面白いもので、こうでは駄目だと強く思うほどに、その現状から抜け出せなくなっていく気がする。逆説的な感じ。その状態を受け入れて、まぁ今の自分はそんなもんか、って思えた時に、気づくとその現状が変わっているというか。

 

その考え方自体はわかっているし、何度もそういうもんなんだなぁと実感してきているが、またその思考回路に嵌っていたようだ。現状の自分を強く否定していては、内容的には否定だとしても、エネルギーが強すぎてそちらへ引っ張られてしまう。まずはこの現状を受け入れよう。そうだった、そうだったなぁ。受け入れることが次への一歩。

高いエネルギーを持っていれば、こんにゃろうという感じで大きな重石を持ったまま進めたのかもしれないけれど、今の私にそんなエネルギーはない。というか、単純なエネルギー自体は年齢とともに基本的には落ちていくから、それと付き合っていかねばなるまい。自分をよく知り、工夫することで。

 

ふむ、思考を少し進めてみたところで、席を外していた後輩が帰ってきた。でも、1-2時間前まで強烈に感じていた腹立たしさは解消された。おぉー。

意味もなく一方的に腹を立ててしまう、同属嫌悪という状態は、自己否定の指標になるかもしれない。新たな気付き。

よし、気分も少し晴れたところで、D論へ戻りましょうか

 

追記:同族嫌悪でなく同属嫌悪では?ということで漢字を修正(11/16 21時)

振り返りと自分との向き合い

TaskChuteでの行動記録は続けられている。こういうのはちょっと楽しい。早寝は3日坊主どころか1日坊主、たった2日も続かなかった。でもまぁ、夜明けまでには寝ているし、日が暮れるまでには起きられているから、よしとすることにする。一度にあれもこれも頑張るのは無理だ、仕方ない。

 

最近、視界に入るだけで腹が立つ後輩がいる。前からそうだったけれど、今週は特に苛立ちがすごい。何故だろうかと考えてみた。もしかしたら同属嫌悪の類なのだろうか。

考えてばかりで行動になかなか移さない。思考は深いけど、疲れてしまうのか思考の放棄も多い。後輩指導は楽しそうにやっているけど、自分のことは手付かずなことが多い。

私にとって、その後輩の行動が私に不利益になるわけでもなんでもないのに、ただただ何故だか腹が立つ。いらいらする。何故だろうか。

 

後輩の描写は、そのまま自分にも当てはまる気がする。ということは、やはり同属嫌悪である可能性が高いような気がする。まぁそういうものだとして受け止めておこう。仕方がない。そして、同属嫌悪ならば、自分が変わりさえすれば、あの後輩の見え方も変わってくるのではないだろうか。ああいう行動しちゃう頃って自分にもあったなぁ、なんて、懐かしく思えるようになったら良いな。

さて。