2020年度も終わりそうですね
気づけば2021年3月も終わりが近づいています。
つまり2020年度も終わりが近いということですね…あと1週間くらい。
アーカイブを見ると、2020年は一度も書きに来なかったらしい。
色々あったので、それは仕方がない…。
少しずつやりたいことに対して動いている。少しずつ。
研究、楽しくやっていきたいな。
一山越えて、続いてゆく
学位審査会が終了した。
質疑応答、まともに答えられた気がしないけど。まぁとりあえず、終了した。
至らない点は多いけれど、それは仕方ない。今できていないこと、気づいていなかったこと。目の前に山のように課題が積み上がっているけれど、一つずつクリアできるよう頑張るしかないと思う。
結構大きい部屋での発表だったけれど、想像以上に多くの人に聞きに来ていただいた。学科や専攻の先生方、D3の同期、研究室や専攻の卒業生、研究室の後輩、他大学のD2の知人、測定でお世話になった研究所の先生…。
自分は発表の準備に手一杯で、同日、私の前に同期2人、その2日前にも別の同期の発表があったのだけれど、どの発表も見に行く時間を作れなかった。ちょっと残念。自分は専攻の同期の中で一番最後だったし、時間帯も夕方だったのもあってなのか、本当に想像以上の人に発表を聞いていただくことになった。
発表資料が完成したのが当日の朝。資料の印刷をして、帰宅して、シャワー浴びて2時間ほど寝て、スーツ着て化粧して大学へ。お昼食べて発表練習を2回やったらもう30分前、みたいな感じだった。いつものことながら、ギリギリで生きてるな…よろしくない。
目の前のことに手一杯で、先のことを考える余裕がない。これからはもう少し、そういった方向にも頭を働かせられるようにならないとなー。何はともあれ、一山越えた。
一つ山を越えたところで、道は続いていて、その先にもまた山があるわけだけれど。
人生も、研究も、まだまだ続く。
これからはもう少し、余裕を持って、楽しく向き合っていけるように心掛けよう。すぐに変わることなんてできないけれど、少しずつ、できることを一つずつ。
とりあえず学位論文の修正をせねば。D論もあと1ヶ月ほどは、続いていく感じだな。山を超えたところで終わりではないんだよなぁ。
キノさんの個展へ行ってきました
D論審査会まで残り3日となりました。
数日前、近くで素敵な個展が行われることを知りました。
行くか迷いましたが、息抜きに足を運んでみました。
余白屋 キノさん
【個展をやります!】
— キノ@1/19(土)、自由帳ギャラリーにて個展やります。 (@Kinokotomo3) December 1, 2018
日時:1月19日(土) 12:30~19:30
場所:高円寺。自由帳ギャラリー
ドライフラワーや木の実を使って、作品「森のかけら」を作っています。
「余白と和み」をテーマに
ほっこり優しい気持ちになるような空間、個展を開きます。 pic.twitter.com/eQO809Noqr
コルクや切り株に良いバランスで乗っていたり、ガラスの中にに封じられた森のかけらたち。
まったりゆったり、心が解される空間でした。
あまりに素敵な作品だったので、私も購入させていただきました。かわいい。
とても癒やされたひとときでした。
さーてD論pptの仕上げだ!頑張るぞー!
タスクシュート講座メモ
ライフエンジン内で開かれたタスクシュート講座のメモ
これは重要な考え方だな、と思えることが多かった。参加して良かった!D論も頑張ろう。
・やる気を出すためには?
成果(リターン)を明確にし、行動を具体的に起こすこと
緊急事態を見える化すること
承認者を見つけ、承認してもらう
笑う!!!
・タスクシュートの基本的&重要な考え方
昨日やったことは今日もやる
タスクを詰め込みすぎず、確実にできることリストにする
→ 予定通りに行っているときが一番力を発揮できる
→ 実行できるのか?と不安になる時間がなく、パフォーマンスは最大になる
欲張りすぎない。理想のタスクリストではなく、これぐらいならできる!に収める
→ これぐらいならできる!よしやるか!
重要なタスクや好きなことに取り組んでいるときに力を発揮できると思いがち
→ 実際は、予定通りにタスクが進んでいる時、最も力を発揮できる
☆タスクは少ないほど良い
・終わらせない時間術/時間畑の法則
終わらせないといけない仕事を0にする
→ 終わった開放感や追われているアドレナリン分泌状態はないが、ストレスもない
狩猟民族的な考え方から農耕民族的考え方への転換
→ その場限りの快感を取らず(狩猟採集による利益の獲得、その日暮らしでムラが大きいが生産性は上がらない、短期的報酬にこだわってしまう)、 常に淡々と最大の利益を得る(畑から常に収穫を得る)
・先送り対策
1日のクローズドリストを終了したとき、やり残したタスクの数をカウントし、記録として残す
→ 先送りの数が0になったときが最大のメリットを得られる&先送りで余ることへの気持ち悪さを感じることができる(リストの質の向上、モチベーションアップ)
5分だけ手を付けて翌日以降へ先送りするルールを設ける!
→ 何もせずに先送りするのではなく、5分だけは手をつける
ライフエンジンへ参加してみた
F太さんのTwitterやブログ、jMatsuzakiさんのブログなどを通じて目にしていた「ライフエンジン」というオンラインコミュニティの存在。昨年11月頃に出会い、ぼんやりと遠くから眺めていた。
今日(2019年1/5)、何故かふと参加してみようという気になった。
jMatsuzakiさんのメルマガも、ふと読んでみようと思った。そのままメルマガを登録。
続いてライフエンジンの月払い参加チケットを購入した。どきどき。
参加チケットを購入したは良いが、ん、これってどうやって参加するんだ???と右往左往。しばらくしてからメールボックスに複数のメールが届いていることに気づく。参加するためのURLだ。なるほど、こういう仕組みなのかと納得。
URLへ飛んでみると、何やらアカウントの作成が必要だった。Mattermostというサービス(松崎さんがブログで移行したと言っていたものだろう)と、Trelloというサービス。まだ何がなんだかわかっていないが、自己紹介までは済ませてみた。緊張する。
私にとってどんな経験になるだろうか。どういった参加スタイルになるだろうか。緊張するが、同時に少しワクワクしている。少しずつ慣れていくだろう。まずはD論が優先だが、少しずつ参加できれば良いと思う。
隣の芝は青い
年末から今日にかけて、D3の同期と久々に話す機会が何度かあった。
久々に話して思ったのは、皆お互いに、隣の芝は青く見えているのだろうな、ということ。
同じ部活で学部が違う同期。会って話したのは数ヶ月ぶり。社会人の同期が大学内のリクルートイベントへやってきたので、大学近辺でご飯を食べた。年末に入るかなくらいのこと。私の学部は、同期の学部よりも博士課程の卒業要件のハードルが低い。もちろんこれは分野による特徴でもあり、そこを比較しても仕方がない。私はD論の仮提出が終わっていて、卒業要件も満たしている。卒業要件に含まれる原著論文は、たったの1報だ。一方、同期の学部は3報。そして同期は、まだ1報しかacceptされていない。
私から見たら、同期は非常に優秀な人材だ。成績優秀、コミュニケーション力も尋常じゃないし、好奇心旺盛。話の端々から、優秀だな、頑張ってるな、ということがわかる。いつもすごいな、それに比べて私は…なんて思っていた。久々に話をして、同期の状況を知って、自分の状況が如何に恵まれているかを理解した。最終審査までにacceptをあと2つもぎ取らなければならない同期。精神的にかなり追い込まれるだろう。
一応、何とか、要件は満たしている私のことは、明言は避けていたものの、羨ましいという感情が透けて見えた。同期のことを優秀で完璧な人間だと、どこかで思っていた私には衝撃的だった。
今日、久々に話した同期。同じ学科で、研究室も近い。良く廊下ですれ違うし、挨拶はするけど、話をする機会はなかなかなかった。D論の仮提出後も実験を続けているのは知っていた。私も同じである。審査会の日程と場所が同じなので、前日などに審査会の会場でスライドのチェックなどをやるなら、一緒にどうかと誘いに行った。この同期については、感情の起伏に左右されず、やるべきことを淡々と成し遂げられる点を、私は心から尊敬している。すごい。
話してみると、まだスライドの準備してないらしい。うん、それは私も同じである。実験も続けている。それも同じだ。ただ、前日に会場でスライドチェックを一緒にどうか、と話しに行っただけだが、あの状況は、向こうには、私がスライドを十分に準備できていて、当日までには練習も十分できるように見えたのかもしれない。そんな気がする。実際には、私はそんな状況は夢のまた夢なくらい、かなりギリギリのラインを歩いていると自覚しているけれど。(審査会までのスケジュールを立てるのも、スライドの準備も、全部全部これからだ。)
そんな私のギリギリな状況は、少し話しただけでは伝わらないし、伝える必要もない。向こうの言葉に少し棘があるように感じたのは、意外だったけど理解はできる。それどころじゃないんだよ、といった感じだろうか。
他人の状況を詳細に理解する機会はそうそう無い。断片的な情報や、思い込み、相手に対する印象などによって、隣の芝は青く見えるのだろう。でも、一人として同じ状況は存在せず、比較することはできないものだ。どんな人も、各自の状況において、それなりに必死なのだ。他人と比較して落ち込みがちだったけれど、同期との会話を通して、同期に対するイメージと彼らを取り巻く状況のギャップに驚くと共に、比較する必要がないことを改めて思い知った。
自分は自分だ。自分の課題に向かって、ただ頑張れば良いのだ。
知っていたつもりだったけれど、視野が広がったような気分。
失くし物が多い
最近、失くし物が多い。
1年ぐらい前だろうか、一人暮らしをしている自分の部屋の中で、PCメガネを紛失。普段遣い用で、寝る前に枕元に置いたつもりが、見当たらず。本気で探していないのもあるが、1年経っても出てこない…。探したら出てくるのだろうか。
9月頃、お気に入りのイヤリングを片方だけ紛失。外出先で外して、バッグのポケットに入れたりしていた覚えはある。だが、最後にどこで見たのかも思い出せず、気づいたらアクセサリーボックスに片方しか存在しなかった。悲しい。
月曜日、前日まで使っていた精密ピンセット(研究室に2本しかないもの)が実験室から紛失。自分の実験に必要だったため、やむを得ず1時間半近く捜索。これは結局、短期出張でいらしていた先生が、近くにあったピンセットを使用したらしく、先生が使用中のカゴに入っていた。解決。
昨日、鈴付きの自転車の鍵(スペア)を学内で紛失。1日経っても見つからず。そこまで移動範囲が広くないにも関わらず、合計1時間ほど捜索したが見つからなかった…。自転車移動ができないのは不便だったので、鍵の捜索は潔く諦めた。後輪を持ち上げながら近くの警察署まで運び、防犯登録の確認をしてもらった上で、鍵を破壊してもらった。その後、近くのホームセンターでワイヤーロックを購入。解決。
短期間に続くと悲しくなる…。何か自分の行動で改められる所があるかもしれない。少し生活を見直してみたい。