気まぐれに、思ったままに。

とあるポスドクの、つぶやき 兼 備忘録

同属嫌悪

後輩にイライラするし腹立つけど、居室以外に良い移動先がないため、仕方なく。この苛立ち、腹立たしさを解消したい。頭の中に言葉と思考がぐるぐるしているので文章化して吐き出す。さっさとD論を書き進めたい。

 

同属嫌悪ってなんなのだろう。ということを考えてみると、単に、自分の現状の強い否定の気持ちが反映されているだけな気がしてきた。苛立つ相手には自分自身が反映されて、目に見える形でそこにある。自分の理想からは程遠い現状が、目に見える形でそこにある。だから、腹立たしいし苛立つし、目を背けたくなる、のかもしれない。

それってつまり、こんな状態では駄目なのに、何故自分はこうなのだろう、という現状への強い否定だ。理想から程遠いことをストレスに感じて、今ここに確実に存在している自分という存在の自己否定。

でも面白いもので、こうでは駄目だと強く思うほどに、その現状から抜け出せなくなっていく気がする。逆説的な感じ。その状態を受け入れて、まぁ今の自分はそんなもんか、って思えた時に、気づくとその現状が変わっているというか。

 

その考え方自体はわかっているし、何度もそういうもんなんだなぁと実感してきているが、またその思考回路に嵌っていたようだ。現状の自分を強く否定していては、内容的には否定だとしても、エネルギーが強すぎてそちらへ引っ張られてしまう。まずはこの現状を受け入れよう。そうだった、そうだったなぁ。受け入れることが次への一歩。

高いエネルギーを持っていれば、こんにゃろうという感じで大きな重石を持ったまま進めたのかもしれないけれど、今の私にそんなエネルギーはない。というか、単純なエネルギー自体は年齢とともに基本的には落ちていくから、それと付き合っていかねばなるまい。自分をよく知り、工夫することで。

 

ふむ、思考を少し進めてみたところで、席を外していた後輩が帰ってきた。でも、1-2時間前まで強烈に感じていた腹立たしさは解消された。おぉー。

意味もなく一方的に腹を立ててしまう、同属嫌悪という状態は、自己否定の指標になるかもしれない。新たな気付き。

よし、気分も少し晴れたところで、D論へ戻りましょうか

 

追記:同族嫌悪でなく同属嫌悪では?ということで漢字を修正(11/16 21時)