気まぐれに、思ったままに。

とあるポスドクの、つぶやき 兼 備忘録

計画

昨日は2週間分の暫定的な計画を作った。

今日からいざ実行しようとして動いてみると、計画段階で見落としていた細かなことが目につく。行動を起こす前に確認すべき点がたくさん。結局、昨日立てた今日の分の計画は実行できなかった。

 

それでも、昨日の自分は計画を立てることができたのが新たな一歩だし(6時間以上も掛かったけど)、計画時点で見落としていたあれこれに気づいたことが今日の新たな一歩であろう。と思いたい。

 

片付けないといけない荷物の山を眺めている時と同じ心境。つまりは、向き合うべきことだし、諦めずに頑張って手を動かせば必ず終わりを迎えるということ。片付け祭りのお陰で、タスクと向き合っている最中の心境と葛藤を経験し、それを乗り越えた先の結果も理解し体感した。根っこは繋がっている…頑張れ私。

苦手なこと

計画を立てることが苦手過ぎる。

特にスケジュールを期限から逆算して決めていくこと。

この能力はどんな場面でも求められるけれど、今までは完全にその場の勢いと気合(と体力)で乗り切ってしまって来たために未だに苦手。でもこの1ヶ月はそうもいかないよなぁ。

どうしても気が急いて、何も考えずに手を動かそうとしがち。そして無駄も多い。落ち着いて実現可能な計画を立てて、そして可能な限りそれを遂行することが今求められている…。

 

考え始めると、多分想像よりもやるべきことが多すぎて、ここから待ち構えている苦難が想像できてしまって、計画を立てる手が止まるのだろうなぁ。でもそれも、今の私の現状であって、受け入れなければ始まらぬ。

1ヶ月の予定を完全に立てることは難しいから、せめて2週間は計画をちゃんと立てよう。そこまで頑張ったらピアノ弾いて帰る!

片付け祭り

掃除を大掃除とは言うけれど、片付けしまくることは大片付けでいいのか?こんまりさん的に言えばお祭りか。片付け祭り。

 

今日の夕方にD論の進捗報告とディスカッションを先生方と予定していたのにも関わらず、昨日の私は自室の片付け祭りを始めてしまった(笑) 完全に試験勉強中に部屋の片付けして満足する心境と一致する。笑

ここ2年ほど、物が増える一方で片付いたな、と思えたことは一度もなかった。こんまりさんの本を読んだ時に、服と書籍は一掃済みだったから、問題は書類と小物だった。「残したいものを選ぶ」という考え方と、「グレーゾーンは迷わず堂々と残す」、「全ての物に居場所を作る」の3点を踏まえて。物を集めて山にして、移動して。分類することはしなかったので同時並行だったけど、空き箱は全部潰してゴミ。昔の書類も不要なものはシュレッダーへ。

途中で怯みそうになりつつも、休憩しつつ再開しつつで格闘すること約12時間(笑) 歩けるスペースがギリギリあっただけだった床には物が一つもなく、3つもある机と卓袱台の上に広がっていた書類やら小物やらは一掃され、部屋が見違えるほど美しく整った。

片付け祭りと同時に掃除もした。ホコリだらけですごかった(笑) 手を付けられなかった場所もあるけれど、それでもこの2年の中では最善の状態と言えるレベルで美しくなった。感激。

 

片付け祭りからわかったこと。

どれだけとっ散らかっていても、諦めなければ必ず終わりが来るということ。

もちろん相応の時間は掛かるし、要領の良し悪しもあるけれど、それでも始めた作業には必ず終わりが来る。

 

この2年半の実験やら結果やらが、とっ散らかり過ぎてD論としてまとめきれる気がせず、不安で体が動かなかった2日間の後の(昨日の)出来事。諦めずに頑張れば終わると思えて、少し、ずっとそこに在ったであろうゴールが目に入るようになってきた気がする。

そしてこの部屋なら、心身健康的に生活できる気がする!笑

大学に居ない時間も、この部屋なら作業もできそう。メリハリをつけつつ、頑張ろうと思う。

過去に対する後悔と、次への一歩

たくさんの後悔がある。

何故、あの時もっと頑張れなかったのだろう。全力で取り組めなかったのだろう。そんな後悔がたくさんある。

自分で本当にやりきったと、心底思えるほど本当に全力で頑張れたことってほとんどない。それがとても悔しい。

思い出せることは印象強いことだけで、その他の諸事情は忘れてしまっているからこそ、後悔することになるのかもしれない。冷静に、当時の状況全てを思い返すことが出来たら、当時の自分なりに全力で最善を尽くした結果だった、と受け入れられるかもしれない。

何らかのアウトプット、成果や結果だけに着目しがちだけど、人間だもの、そこには心身の状態も大きく影響している。体調が悪かったのかもしれないし、疲れていたのかもしれないし、心が荒んでいたのかもしれない。でもそういうことは大抵忘れてしまっていて、その状態で出来たアウトプットだけが残る。そしてもっと出来たのではないかと後悔する。でもきっと、その状況の自分にとっては、全ての状況を総合した時に、それが最善で全力だったのだろう。きっと。

 

現状を否定し続けても前には進めない。これが今の、当時の私の実力か、と受け入れる。次の一歩はそこから初めて生まれるような気がする。

現状を、現実を何故受け入れられないのか?自分の理想と現実がかけ離れていてショックだからだろう。もっと出来るはずなのに、という高望み。今の実力を冷静に見られずに否定してしまう。でもそれは目を背けているだけで、何も生み出さない。

理想とはかけ離れた、それも随分と劣っている自分の実力を、ありのまま受け入れて認めること。苦いし痛いし、簡単に飲み下せるものではないのだけれど。そこが最初の一歩な気がしている。

満たされていることの確認

・いま健康に生きていること
・両親、友人知人が健在であること
・素敵な先生方にご指導いただいていること
・尊敬できる先生方、友人、先輩後輩に囲まれていること
・学位取得後1年の収入が確定していること
・衣食住に満たされていること
・ピアノを弾くことが出来る環境があること
・学位取得に向けて動けること
・美しい自然がそこに在ること

生活リズム

崩れまくっている。夕方起きて大学に来て、朝帰る。

これで実験が進んでいれば良いけれど、まぁ手は止まっている。

思考が停止している気がする。これで良いのか?

ピアノに逃げてないか?何をすべきだ。考えないと。

比較の気持ち

なかなか無くならない、他人と自分を比較する気持ち。

研究室に来た。後輩が熱心に実験している。先生と楽しそうに研究の話で盛り上がっている。一方、私は今日も寝坊して、やるべきことにも手がつかず、一人落ち込んでいる。落ち込んでいるのは私の勝手だし、後輩たちが楽しく研究に向き合っているのは喜ばしいこと。

でもその状況を、自分が出来ていないことに向き合わされているように勝手に感じて、そしてまた勝手にダメージを受けている。

少しずつ変わってきたのだろうけれど、まだまだ難しい。でも努力はしよう。

 

自分は自分、他人は他人。課題も、努力が必要なことも、苦労せずできることも、人はそれぞれ違いがある。似ていることはあっても、全く同じことは有り得ない。人と比べて焦る必要はない。自分は自分だ。

 

落ち着いて、淡々と、明るく楽しく、自分が成すべきことに取り組むのみ。