気まぐれに、思ったままに。

とあるポスドクの、つぶやき 兼 備忘録

隣の芝は青い

年末から今日にかけて、D3の同期と久々に話す機会が何度かあった。

久々に話して思ったのは、皆お互いに、隣の芝は青く見えているのだろうな、ということ。

 

同じ部活で学部が違う同期。会って話したのは数ヶ月ぶり。社会人の同期が大学内のリクルートイベントへやってきたので、大学近辺でご飯を食べた。年末に入るかなくらいのこと。私の学部は、同期の学部よりも博士課程の卒業要件のハードルが低い。もちろんこれは分野による特徴でもあり、そこを比較しても仕方がない。私はD論の仮提出が終わっていて、卒業要件も満たしている。卒業要件に含まれる原著論文は、たったの1報だ。一方、同期の学部は3報。そして同期は、まだ1報しかacceptされていない。

私から見たら、同期は非常に優秀な人材だ。成績優秀、コミュニケーション力も尋常じゃないし、好奇心旺盛。話の端々から、優秀だな、頑張ってるな、ということがわかる。いつもすごいな、それに比べて私は…なんて思っていた。久々に話をして、同期の状況を知って、自分の状況が如何に恵まれているかを理解した。最終審査までにacceptをあと2つもぎ取らなければならない同期。精神的にかなり追い込まれるだろう。

一応、何とか、要件は満たしている私のことは、明言は避けていたものの、羨ましいという感情が透けて見えた。同期のことを優秀で完璧な人間だと、どこかで思っていた私には衝撃的だった。

 

今日、久々に話した同期。同じ学科で、研究室も近い。良く廊下ですれ違うし、挨拶はするけど、話をする機会はなかなかなかった。D論の仮提出後も実験を続けているのは知っていた。私も同じである。審査会の日程と場所が同じなので、前日などに審査会の会場でスライドのチェックなどをやるなら、一緒にどうかと誘いに行った。この同期については、感情の起伏に左右されず、やるべきことを淡々と成し遂げられる点を、私は心から尊敬している。すごい。

話してみると、まだスライドの準備してないらしい。うん、それは私も同じである。実験も続けている。それも同じだ。ただ、前日に会場でスライドチェックを一緒にどうか、と話しに行っただけだが、あの状況は、向こうには、私がスライドを十分に準備できていて、当日までには練習も十分できるように見えたのかもしれない。そんな気がする。実際には、私はそんな状況は夢のまた夢なくらい、かなりギリギリのラインを歩いていると自覚しているけれど。(審査会までのスケジュールを立てるのも、スライドの準備も、全部全部これからだ。)

そんな私のギリギリな状況は、少し話しただけでは伝わらないし、伝える必要もない。向こうの言葉に少し棘があるように感じたのは、意外だったけど理解はできる。それどころじゃないんだよ、といった感じだろうか。

 

他人の状況を詳細に理解する機会はそうそう無い。断片的な情報や、思い込み、相手に対する印象などによって、隣の芝は青く見えるのだろう。でも、一人として同じ状況は存在せず、比較することはできないものだ。どんな人も、各自の状況において、それなりに必死なのだ。他人と比較して落ち込みがちだったけれど、同期との会話を通して、同期に対するイメージと彼らを取り巻く状況のギャップに驚くと共に、比較する必要がないことを改めて思い知った。

自分は自分だ。自分の課題に向かって、ただ頑張れば良いのだ。

知っていたつもりだったけれど、視野が広がったような気分。