気まぐれに、思ったままに。

とあるポスドクの、つぶやき 兼 備忘録

D論を書いて気づいたこと

自分で思っていた以上に、自分の現状が悲惨だった。これが私なのだ、受け入れるしかないのだけれど。後悔していても先へは進めない。D論を書いていてぶつかった壁は大きく3つ。

1 自分の研究の位置づけや意義が明確に理解できていない

2 とにかく勉強不足

3 計画性がなさすぎる

 

どれもこれも、他人のことだったらD3にもなって今さら何言ってるの?とか言っちゃいそうだ。でも全部自分のことだった。人の振り見て我が振り直せとは良く言うが、全く直せていなかった。今さら気づいた。遅い。

 

D論を書いてる途中も、こんな状態で私はD論の審査申請すんのか?なんて思っていた。でも修了を延ばせばハードルが上がる。すると実験はほぼやり直し、追加データも取って投稿論文も1本増やし…となり、半年で足りるのか?1年?みたいなね…そもそも延長線は学費を工面するという課題が出現するしね。とりあえず泣きながら書いて、先生方に見てもらいつつ、なんとか提出はした。あの内容でプレゼン作って審査を受けると考えるだけで憂鬱だ。

 

自分の現状が想像以上に悲惨で(自分のせいだけど)、先生方に申し訳なくなった。そしてショックでめちゃめちゃ落ち込んだ。そんな先週末。准教授に声を掛けられて、思っていることを話した。するとこんな感じのお話をいただいた。

「現状に気づいたということが新たな一歩。悲嘆に暮れたくなるのはわかるけど、それは何も産まないし次へも進まない。今まで出来てなかったことに気づいたら、あとはやれば良いだけ。今まで何故こうしなかったのか、を考えても仕方ない。過去には戻れないし時間は返ってこない。気づいたなら、これからやれば良いだけだよ。」

「自分の弱点を知っている、理解していることは大事なこと。弱点を知って理解した上で、必要があれば上手く出来るように工夫すれば良いし、人よりも苦手で必要なことは、人よりも時間を掛けて向き合えば良い。そうやって、自分自身と付き合っていけば良いんじゃない?自分とはこの先もずっと、上手く付き合っていくしか無い」

「僕らに申し訳ないとか、そういうことは考えなくて良いから。考える必要ないし。これからまた頑張れば良いじゃん。あとはね、研究を楽しんだほうが良いですよ。泣く必要なんて無い。(話をしている時の私が、悔しさやら不甲斐なさやらで泣いていたので)」

「自分のフィールドを確立するのがドクター。色んなフィールドの人と話をしたりする中で、自分の興味や研究の意義について、周辺分野との関係性や落とし所を考える。それを自分なりの言葉で、少しずつ言葉で表していくのが大事だし重要。大変だと思うけど、自分で考えるのが大事だから、あんまりサポートはしないかもしれないけど。ストレス溜まったら喋りにおいでよ、それはいつでも大歓迎だから。」

こんなお話をして、ようやくどうにか気持ちが浮上した。有難いお言葉を掛けてもらったなぁ。素敵な先生に師事できて有難い限りである。ずっとドタバタしていて、先生方としっかりディスカッションしてなかったのかもなぁ、と思ったり。私も言われずとも気づいたり理解したりできれば良かったのだが、これまでの私には出来なかった。改めて、ちゃんとお話できて良かった。

 

課題は山積みだけれども。一つ一つ眼の前のことを頑張るしか無い。