気まぐれに、思ったままに。

とあるポスドクの、つぶやき 兼 備忘録

頑張る理由とは

ここ数日、なんだかずっと食べ続けている気がする。

過食?ストレスのせいかな~と軽く調べてみると、摂食障害やら過食症やら、病院案件の記事がいっぱい出てきて焦る。笑

動けないほど食べたり、食べ過ぎに罪悪感を感じて吐いたりとかはしてない。昔からストレス溜まると食べ過ぎる傾向はあるから、まぁそこまで重くは捉えていない。

 

そんな中で、たまたま、大好きな鈴木明子さんのインタビュー記事を見つけた。上中下の3部に分かれたインタビュー記事の中編。

style.nikkei.com

目から鱗というか、なんというか。自分の中に新たな視点が形成された感じがした。特に心を揺さぶられた文章を抜粋すると次の通り。

「自分のためだけに頑張れることには限界があります。私の場合、親やコーチといった私を支えてくれた人、応援してくれた方々など、自身を取り巻くいろんな人が喜んでいる姿をイメージすることで、つらい時期も踏ん張ることができました。」

 

ここ数年はずっと、期限などの外圧的な必要性に駆られて、様々なことをこなしてきたように思う。昔から、考えすぎて動けない時間が多かったり、それでいて期限が迫ってくると焦って体力の限り頑張ってどうにか期限や課題を乗り越えたりするタイプ。今年の9-10月頃に、本当にようやく、このやりかたでの限界の壁にぶち当たって、計画性とか長期的な頑張り方とか、大切なことを学びつつあるわけだけれど。

自分がもつエネルギーを内面に向けすぎて、体が動かない。自分のためにひたすら頑張ってきたけれど、それだけではどうにも体が動かなくなってきた。そりゃそうだ、単純なエネルギーは減る一方だし、もちろん回復力だって落ちていく。続けるためには、動き続けるためには、好きであり続けるためには、ひらめきラジオのF太さんが常々発信しているように、工夫することが大事なのだ。

 

じゃあどうすれば良いのだろうか、と考えていたけれど、鈴木明子さんのインタビューの中に新たな視点の発見があった。自分以外の人のために頑張る。目標の先を具体的にイメージする。どちらもほとんど考えたことがなかった。

結婚も孫の顔も期待してないから、好きなように生きなさい、と笑って言ってくれた父。

私の睡眠不足や健康を心配して、実家に帰るとたくさんのご飯を準備してくれる母。

博士進学を驚きつつも応援してくれた親戚の皆さん。

出来の良い学生ではないけれど、親身に根気強くお付き合いくださる指導教員の先生方。

学年が離れた私とも、遊んだりご飯食べたり楽しく過ごしてくれる後輩たち。

同期のドクター仲間、先輩方、学科の先生方、大学や中高の同期、他大学や研究所の先生方、中高でお世話になった先生方、ピアノの先生、ライブ仲間…。

ものすごく沢山の人が私に関わってくださり、沢山の人に応援されて、支えられて、いまを生きている。知っていたつもりだったけれど、自分の中に落とし込めていなかった。

 

自分のためだけでなく、自分と関わりのある人のために、喜んでもらうために、目標を持っても良いのかもしれない。そんなこと考えたこともなかったけれど、大きなエネルギー源を得られる素敵な考え方だと思う。

自分の内面と向き合いながら、苦しい思いをしながら、いま頑張っている理由はなんだろう。闇雲に頑張るのではなく、もっと先を具体的にイメージする。今までやってこなかった、自分に必要なことの一つだ。

 

何故頑張るのか、頑張ってどうしたいのか、どうなりたいのか?